それは、企業が自前で英語教育したくないからでは?

こちらの記事はいちいちごもっともだと思いました。なぜTOEFL義務付けなどという発想が出てくるのか: H-Yamaguchi.net特にここの部分:

もう1つ、学生よりむしろ、実際に英語を使う必要に迫られている社会人向けのリカレント教育の方が、高い教育効果が期待できるのではないか。企業が優秀で意欲ある社員に「道具」としての英語を身につけてもらうための資金を支援するようなプログラムは、特にグローバル人材を必要としながら余裕がない中小企業などにはニーズがあるだろう。そもそもグローバル人材は社会人を想定した概念だろうから、支援対象を学校教育に限る方がむしろ不自然だ。所管官庁がちがうかもしれないが、そういう部分こそ政治家の出番ではないか。

そう、使う必要に迫られなきゃ言葉ってどんどん忘れちゃうんだよね。子どもの頃海外で生活してたのに、日本に帰ってきて使わないとみるみる下手になるじゃん(自己紹介)。だから言葉ってしょっちゅう使うのが大事なんだと思うんだ。
本当は、仕事でバリバリ英語が使える人がほしい、だけどそういう人を会社で育てるのはお金がかかるしいやだ、だから学校で何とかしておいてほしいってのが本音なんじゃないかと。じゃあ、明治のころに戻って教科書も英語、先生も外国人、みたいな大学制度にするかっていうと、日本にいながら英語が身に着くのは確かだろうけど、そうしたら絶対「日本人じゃなくなる」ってぶーぶー文句垂れる人が出るだろう。ワタスなんか、英語しゃべったとたん、何度面と向かって「日本人じゃない」って言われたことやら。今でも言われるときあるけど、心の中でまたか、って感じですわ。ほんとに21世紀かよ、みたいな。
大学目指す高校生の側になってみると、英語の比重を高めるほど、英語は苦手だけど数学は好きみたいなこはすごく不利になるよね。それで構わないのかな?