TPRの8/2社説訳そのいち

つづきはそのうち。長いんだ。DeOrioさん、承諾ありがとうございます。
本文こちら:http://www.transpacificradio.com/2007/08/02/the-comfort-women-resolution-hr-121-passed-why-thats-not-bad/

この社説は、Liberal Japanでのマット・ディオガルディ氏の7月9・31日の投稿への反応と議論から端を発している。彼の2つの投稿はこれから述べる点についての反論に興味のある読者には読む価値のあるものである。

月曜日、私の驚きをよそに、米下院は委員会決議の3度目に、下院決議121号(いわゆる「慰安婦決議」HR121)を発声による採決で承認した。なぜ下院決議121号の承認が前進だと思うかということを述べる前に、なぜ私が多くのメディア−主流やブログを含め−で誤った形で伝えられてきたと考えるかを述べたいと思う。まず、決議が実際に「要求」している内容を見てみたい。


決議した
下院の意見として日本政府は:
(1)1930年代から第二次世界大戦中、アジアや太平洋諸島を植民地下、あるいは戦時占領下においた時期に、帝国軍が若い女性を「慰安婦」の名で知られる性的奴隷制を強要したことを、明確で率直なかたちで正式に認め、謝罪し、歴史的責任を受け入れるべきである
(2) もし日本国首相がこのような謝罪を公式発言として行うなら、それはこれまでの声明に関する誠実さや立場に関する疑問がたびたび生じることに対する解決となる
(3)帝国軍による「慰安婦」の性奴隷化や人身売買は起こらなかったとする主張をはっきりと公式にしりぞけること、そして
(4) この恐ろしい犯罪について、「慰安婦」に関する国際社会の勧告に従い、現在及び将来の世代を教育すべきこと

下院決議は堅苦しい文体の見本ではないが、公的な性格上強い表現を用いることがある。しかしこの121号は下院決議にしては抑えた調子で、ためらいがちですらある。日本に何らかの行動を「要求」するには程遠く、「べき」shouldという表現が一番強いくらいである。この決議は「下院の意見として・・・」というおかしな一文によって、さらにやわらげられている。

さて、私は下院の文言が格式ばって、法的で、抑制的で、なによりも紋切り型であると認めるにやぶさかでないが、普通の言葉に書き換えるとしたらこのようになるだろう。「日本政府は謝ったほうがいいと思う。首相が謝罪したほうが正式になるし、ことの解決に役立つ。強制はなかったなんていうのは止めて、学校でも教えた方がいい。たぶん。」

さらに、HR121は非拘束性の決議で、誰もこれを強制することはないという事実を加えることができる。この中で強制できうる唯一の確固としたものは現在あるいは未来の首相による謝罪であるが、このような行動がいつとられるべきかという時間的制約のひとつもない。それから通常会期外に発声による採決で承認され、435名の議員のうち15名の出席しかなく、しかも討論も行われなかったことから、大して重要でない決議・法案・改正案の特徴を示している。
HR121は法案ですらない。これ以上どうにもなりようがない。強制されることはないし、さらに討論されることもなく、上院にあがることもなく、法律になることもない。政府の、特に執行部の支持を受けたことも、これから受けることもなく、政策や行動に影響を及ぼすこともない。実際、これが承認されて一日もたたない火曜日には、ホワイトハウスは安倍首相とその内閣を支持すると表明し、新たな謝罪は必要ないといった。
さらにより注目すべき点として、火曜日にはニュージャージー州選出のジム・サックストン議員が提出した、HR121の効果を弱める狙いが明らかな「対テロ戦争における日本の役割をたたえる決議」が外交委員会で承認された。この新しい決議は、あなた方が予想するとおり、マイク・ホンダ氏によって支持された。興味深いことに、この新しい「親日」決議案は、あっという間に起案され承認されたことに加え、「反日」HR121決議と同じような表現が用いられている。

これは、ここTPRが外交委員会だとして、みなで席について「第二次大戦中の性奴隷制、あれは不愉快だった」と発言し、数人が「そうだ」というまで待ち、「よし。ではつぎ・・・」といったようなかんじだ。

さまざまメディアで多くの声が上がったが、この決議が米国が日本の過去の罪を非難している(肯定的意見)とするものか、米国が日本の内政に干渉している(否定的意見)のいずれかであった。
賛成意見には根拠が薄いのはすでに述べたとおりであり、総ての下院決議がそうであるように、日本政府の今までの取り組みや人権擁護のための働きについてほめている部分が、日本を断罪したり批判したりする部分の3倍もあるからだ。

HR121にはその決議にいたるまでの11の調査結果、あるいは事実の記載がある。これらの(「しかるに」で始まる形式の文章)なかで、6つが日本の前向きな行動を評価していて、いくつかは「慰安婦」問題には無関係で、性奴隷制に関係なく日本は米国の一番の友人だと再確認している。3つは否定的または批判的とみなされるが、明白な事実の表明であり、そのうちひとつは7つ目のほめ言葉とも取れる文章の中に埋もれている。
これで、はっきりと否定的または批判的な表現は2つだけとなり、いずれも第二次大戦中に若い女性が売春や性奴隷制を強要された問題と密接なものだけである。決議案が日本をこの問題と関係ない人権擁護努力でほめているにもかかわらず、下院が日本が有罪であると「感じた」これ以外の人権侵害、たとえば強制売春のための人身売買を取り締まるための現在の努力が十分でないこと、には目をつぶっている。言い換えると、決議案を出した外交委員会と、承認されるために手直しをした下院は、なるべく日本政府への批判が建設的になるように表現を和らげたのだ。

登場人物2名による一場面

米下院(無愛想な年寄り弁護士、ネクタイは緩み、いらいらしている):坊主、お前さんはみんなの前であの車をこじあけたんだ。何百人もの人が見てるし、監視カメラにも一部始終映っている。仲間に自慢したお前さんの通話も記録されてる。謝っちまえば、こっちも何とか手伝えるし、お前さんはできる子なんだから。たったこれしきのことなんだ。

日本政府(ぐれた格好、理由なき反抗のジェームス・ディーンに少し似た感じだけど夏場でクールビズのせいか上着は着てなくて、無頓着に見せようと必死になっている若造):あの車は鍵なんてかかってなかったんだ!証拠はないよ!車があけてもらいたがってただけで、あけてくれるよう俺に頼んできたんだよ!そうだよ、自分からあいたんだよ!俺は関係ねーよ!それに俺が来る前からあいてたかもしれないし、そうだったら悪いなあと思うし、俺はどういうわけか巻き込まれただけで、いや、たぶん違う。車が勝手に自分からあいたんで俺は関係ねー!ほっといてくれよ!おめーなんかだいきらいだ!」

(部屋に駆け込んでドアを乱暴に閉める)

米下院(TVの画面を向いて、いすにもたれ、プレッツエルを数個口に放り込み、くちゃくちゃしながら):うん、うまくいった。コマーシャル時間のすべてもだ。日本政府はいい子だな。
拍手

米国が日本に内政干渉しているという否定的意見は、肯定的意見よりもっと穴だらけだ。
すでに述べたとおり、下院はこの決議を通じてなにか支援したり、日本に直接交渉する気はない。HR121の中で、日本が真剣受け止めるべきとの記述もない。下院のマイク・ホンダ議員は要請を受けて適切な委員会、この場合はトム・ラントス氏が委員長を勤める外交委員会に要請を持っていった。
委員会の行動の適切さに疑問をはさむ余地はない。国内で起こった問題についてだけ、政府やその機関は関心を持ってはいけないというわけではない。下院外交委員会はダルフールで起きていることを非難したためにせめられるべきなのか? スーダン政府以外にそういう人は少ないだろう。
しかし、平和な日本に対しては、こんなたるんだ非難でも内政干渉となる。
これは干渉ではない。米政府の中で日本の国内政策を変えようとしているところはどこにもない。一番近いところで、「この恐ろしい犯罪について、「慰安婦」に関する国際社会の勧告に従い、現在及び将来の世代を教育すべき」というくだりである。しかし、これはどのように子どもたちを教育するか、カリキュラムをたてるか、ということを言いつけているわけではない。
干渉には、行動が少なくとも伴うものだ。
HR121が外交委員会で採決に向かった最初の2回は、ワシントンの日本ロビーが一月600万ドルかけて圧力をかけたおかげで不採用になった。議員に圧力がかけられ、この問題を沈静化するために外交ルートが用いられた。

日本政府のメンバーはワシントンポストに一面広告を出し、決議案が承認されないことを求め、駐米大使の加藤氏は決議案が通れば関係が緊張したり損なわれると脅した。
それこそ、内政干渉だ。

2006年の「人身売買」報告書で、米政府は日本がとりわけ東南アジアからの女性の人身売買が続いていて、それが強制売春や性奴隷制に近いとして2級に格下げした。
これは干渉だった。米政府は日本を人身売買対策が遅れていると格付けし、日本の法律や政策を変えようとして行動した。
政府が直接的であれ間接的であれ、他国の政府の態度や行動に影響を与えるためや他国を助けるために、自国内で起きている出来事に法的に正しく反応した先例がある。
スペインの裁判所は、チリの独裁者オーグスト・ピノチェトに対し、スペイン人がその犯罪的行為の犠牲になったかもしれないことを根拠に、逮捕令状を出した。
米国薬物対策局はパナマの独裁者マヌエル・ノリエガを逮捕し、米国で裁判を行い収監した。

HR121はこれらにくらべてショックは少ないのでは? 日本の性奴隷制の被害者にはまだ生きている人もいて、何人かは米国民だ。年をとっていて日本人じゃないからといって、何の償いも受ける権利はないのか?
結局、HR121に反対する意見がよく言っていることはこのことなんだ。まず、「慰安婦」問題は日本という独立国の中だけの争点だから日本だけが対処できるというもの。これはばかげている。日本は圧倒的に国外から女性を誘拐したり、強要したり、だましたりして性的な奉仕をさせた。これを日本の国内問題で日本だけが対処すべきだというなら、現在進行中のアメリカ主導のイラクでの戦争は米国は独立国なので他国は意見すべきでないことになってしまうのと同等である。

北アイルランドでジョージ・ミッチェルとビル・クリントンが和平について話し合う神経。おせっかいな間抜けども。
二つ目に、第二次大戦は62年前に終わったんだから忘れるべきだという意見。戦争被害者でまだ生きている人がいて、その人たちは正義を求める権利がある。ヨセフ・メンゲレやアドルフ・アイヒマンは追及されなければよかったのかもしれない。