ちょっと気分がロウ。

なんかねー。最近思うんですよ、「無垢な被害者」と「被害にあって当然な被害者」の境目って何なんだろうって。それをつらつら考えてたら、なんとなーく「真白き富士の根」って歌を思い出して調べてみたんす。
まず、この歌は1910(明治43)年1月23日に12名の逗子開成中学の生徒が、鎌倉の稲村ケ崎の海で遭難し死亡した悲劇を悼んで、鎌倉女学校の先生が作ったものだっていうこと。それから、当時の人々が「ボンボンが勝手に学校のボートを持ち出してひっくりかえっておぼれたのは自業自得」なんて思わずに涙したってこと。2回映画化されてるし。
詳しい話は、下記のリンクを見ていただくとして。人は誰しも、一度や二度は振り返ったら「愚かなこと」や「軽率なこと」を、やってると思うのですわ。幸いにして、ほとんどの人は命を落とすとか、大けがをするとか、そーゆー深刻な目にあわずにすんでる。
でも、それはいろんな偶然で、悲惨なことが起こらなかっただけ。ボートで遭難した生徒たちだって、もし乗った人数が少なかったら、突風が吹かなかったら、何事もなく帰ってきていたかもしれない。
明治時代の人々が悼んだ事件を、今の我々ならバッシングするかもしれない…と考えると、何が我々の心を冷たくさせてるのか、すごい気になる今日この頃なのでした。
http://www.zushi-kaisei.ac.jp/history/fujinone/fujinone.html