整理がつかない

昨日、家族で光市の裁判のことを話し合ったんだ。でさ、結局家族が理不尽な形で命を奪われたら、そりゃ許せないし我慢ならないけど、じゃ犯人を死刑にすりゃ、解決なのか?今後の予防になるか?もし冤罪だったら取り返しつかないし…とかいろいろ考えちゃうと、何がいいのか分かんないねっていうことになった。

うちはついこないだまで、アニマックスで「レ・ミゼラブル 少女コゼット」をみてたんだ。舞台になってる19世紀半ばのフランスの刑罰の厳しいこと。ジャン・バルジャンはパンを1個盗んだ+脱獄2回で15年服役してたんだよね。しかもあの有名な銀の蜀台の一件で更生して市長までなったのに、自分と間違えられた別人が逮捕されてるのを知って名乗り出るんだけど、そのときは終身刑になるはずだったんだ。それくらい厳しくても、たぶん今の死刑のないフランスよりずーっと犯罪は多かったんではないか?なんて考えると、厳罰の抑止効果もなんだか疑問だ。

それと、今回の件では被害者遺族が前面に出てかなり注目されたわけ。じゃ、被害者に遺族がいない場合だったら、どーだったのか。あるいは、親族内で起きた殺人事件にも、これは適用されるのか?被害者の遺族であり、加害者の遺族でもある人は、とてもじゃないけど出てこられないと思う。

それから、気になったのが死刑判決を出したんだから、満足しろとお上から言われたように思えること。がたがた言わずに、いくら生活が苦しかろうが、なんだろうが我慢しろみたいな。家族を失った苦しみや悲しみやもろもろって、そんなにすっきり解決しないように思う。ワタスが父が病死して何年もたつけど、未だに思い返しても悔いが残ることがあるのです。

もう一つが、被害者側へ人々が寄り添いすぎて、いつまでも「理想の被害者」であり続けるのを強制するんじゃないかってこと。わりきれない - おこじょの日記のコメ欄にも書いたけど、本村氏はまだお若いし、ご縁があれば再婚され幸せになっていただきたいと思う。でも彼の現状をみると、とてもとてもそんなことをできる環境にあるように見えないよね。

つくづく、人が人を裁くことほど難しいことはないです。