バンコクポストの記事がよいね

と思ったので、訳したんだけどへただねえ、こりゃ。ご指摘歓迎します。
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Comforting history's forgotten victims歴史に忘れ去られた被害者にやすらぎを

修正主義者と人権派の双方にとって、歴史を『正す』ことが日本の悪評を解決し、将来への前進の鍵となる
By PHILIP J CUNNINGHAM


「日本がその評価にふさわしい国となるためには、罪の重荷を下ろさなければならない。」マイク・ホンダ議員の提唱する、若い女性を軍慰安所で強制的に働かせた罪を日本政府が「公式に認め、謝罪し、はっきりとした断固たる歴史的責任を引き受ける」ことを求めた下院決議案121号に賛同する、米国議員デ−ビッド・スコット氏は主張する。

ピンチの安倍晋三首相とそのネオコン内閣は、慰安婦は強制でなかったと否定したそばからすぐに謝罪するなんてとんでもない、ととさかを立てるだろうが、日本の歴史的な重荷は取り除かれるべきだとするスコット氏の意見に、修正主義者らは賛同するに違いない。
 
修正主義者は日本の悪いイメージに関することを書き換えたり、ないことにしたり、否定したりすることで、つい無意識のうちに歴史的罪悪感を強調してしまう。一方、人権活動家は罪の認識と謝罪こそが、被害者と加害者をともに癒す過程であるとみなしている。

しかし、米国は日本に対してどんな道徳的優位性があるというのだろうか。米国はブッシュ政権の始まりとともに、人権をふみにじり残酷な侵略戦争を起こし、かつて有していた高い道徳的地位をなげうったのではなかったか。日本に謝罪を要求するこれら帝国主義的な米国の政治家とは何者なのか。だいたい、日本の歴史に関する決議案を通す権利などあるのか。

簡単に言うと、この下院決議121号の背後にある勢力は、偏見、差別、歴史的な不公平についてよく知っている少数のアメリカ人である。マイク・ホンダ氏は第二次大戦中民族差別のために家族が監禁された。アフリカ系アメリカ人であり、奴隷の子孫であるデービッド・スコット氏とシィーラ・ジャクソンリー氏は、歴史をただしく認識することの重要性と謝罪が大きな力を持つことを知っている。またトム・ラントス氏はホロコーストの生存者である。

広い意味では、現時点で160名強を数えるこの決議案の賛同者らは、人権や奴隷の傷跡について多くを知っているだけではなく、自身が戦争を遂行する政府の中で十字砲火にあっている。この理想主義的な決議案は、米国自身でなく同盟国に向けてのものであり、リバタリアンロン・ポール氏ほか数名の議員が指摘するように、内政干渉とみなされかねない。米日の同盟関係を不動の外交関係とみなすものにとっては、この決議案は戦争に嫌気のさした米国政治家が再度結集し、米国流の民主主義を再定義するためのよい機会なのである。すなわち、人権を擁護し、あらゆる奴隷制に反対する、というものである。

決議案の賛同者はみな自分は日本の友人であるという。彼らは騒ぎを起こそうとしているのでなく、日本が歴史の事実を否認して東アジアの平和を乱し、窮地に陥る前にそっと元へ戻そうとしているのだ。日本も、同様に重要な政治問題についてアメリカを正すことで好意をかえすこともできるかもしれない。

安倍氏は、自らの狭量な愛国心と自己愛的な修正主義がいかに日本の友好国や近隣国を不快にさせ、平和国家としての日本の評判を落としているかを認識してない。事実、安倍氏が改革と愛国心教育の隠れ蓑の元で教科書の記述の塗り替えに長く関わってきたことから、彼は罪と向かい合うことでなく、なかったことにすることで罪の重荷を投げ出そうとしていると考えられる。機会さえあれば、彼は平和憲法を戦争のできる憲法と取り替えるだろう。

にもかかわらず、日本の歴史は日本だけのことだと言う人々もいる。しかし、日本は近隣国と今も昔も深いつながりがあり、またその存続のために商業に依存しており、人々の移動と国境の開放が不可欠なのである。どんな国の歴史も孤島ではなく、だからこそ他国とのかかわりについて正直にふれられなければならない。

もうひとつのよくある反論は、戦後世代は先祖の罪を謝罪しなくてもよいというものである。しかし、現代は過去とまっすぐにつながっており、中国・韓国・東南アジア・米国はパールハーバーやバターンから長崎・広島までの悲惨な戦争によって形作られ、今もその影響下にあるのだ。

日本の防衛大臣久間氏が広島は「しょうがなかった」と発言したときの反発は、彼の辞職を招いただけではなく、安倍内閣の評判を落とした。また、戦争に関する問題の中には、半世紀以上の平和をもってしても未だに広く語られることがはばかられるものがあることに気づかせてくれた。

慰安婦たちがこんなにも長い間沈黙の中で苦しんできた背景には、犯罪の規模や覆い隠そうとする恥の意識のほかに、この問題が一過性の感情で左右されてきたことがある。また、この問題に多くの国が関わっており、一国が慰安婦全員を代表できるわけではない。歴史の忘れ去られた被害者として、彼女らはサンフランシスコ平和条約の狭間に落ちてしまった。

誰も慰安婦たちのために立ち上がらないのか? 歴史に忘れられた強姦被害者に寄り添って慰めるようなつつましい仕事に、安倍氏、麻生氏、ブッシュ氏、チェイニー氏のような、野心的で甘やかされた政治家が本気になったことなどないだろう。

中国や韓国の政治家はその時々の政治的意図を持ってこの問題をとりあげるが、日本の場合、補償のための真摯な議論はいつもトップの否認で止まってしまう。

そこで、マイク・ホンダ氏のように日本の歴史的側面にも理解のある政治家が表に出た。彼は自分の信念のもとで、矛盾した皮肉な立場に立ったのだ。米国議会は矛盾と欺瞞に満ちていて、このような運動を始めるには理想的ではないが、何もしないよりはましである。今でなければいつやると言うのだ?

誰かが立ち上がって先導するまでは、ホンダ氏とともに歴史に無視されてきた被害者に関心と共感をよせてはどうだろうか?偏見のために苦しんだ過去を持つ日系アメリカ人として、彼が無力な人々を助けようとする真摯な努力は人々の範となる。

アメリカにも過ちは多いが、謝罪が大きな進歩を意味することを経験している。だからホンダ氏と彼の仲間は、アメリカのよき友人である日本が謝罪することを求めているのだ。