TPR8/2社説翻訳そのに

その一はこちら:とりあえず第一弾 - おこじょの日記
1789年に裁判法が成立したとき、以下の条文が含まれていた。
地裁は外国人による国内法または米国が結んだ条約を犯した不法行為に対して、裁判権をもつ
この条項は「外国人不法行為法」として知られ、近年ではとくに人権侵害の場合に外国人が他の外国人に対して米国裁判所に提訴する際の根拠として解釈されている。
非拘束の下院決議は法的なものではないのでこのような先例は必要ないが、HR121がいかに当たり前のものかを示す証拠になる。この決議案は特別でも、異常でも、前例のないものでもなかったのだ。

米国から見たHR121「慰安婦決議」

議員は選挙民のために働くために選ばれている、つまり、議会には選挙民にとって重要な問題を提出することを意味する。この場合、ホンダ議員、ラントス議員ほかこの決議を発声で支持した総ての議員は、なんら非難されることなく高い道徳的見地に立つことができる。結局、誰も性奴隷制をおおっぴらに支持することはできないのだ。
(ついでながら、この決議案の発案者でその主な出資者であるマイク・ホンダ氏は、HR121を後押ししていた団体を含め、中国系あるいは韓国系のロビー団体から資金や宣伝の支援などを受けていない)
最も激しい言葉は決議案そのものではなく、それを支持するラントス議長の言葉にあった。彼は決議案の文言を振り返りながら、日本を批判する言葉の倍はほめつつ、彼自身が被害を受けたドイツの戦後処理に比べ日本は十分でないといった。
下院議員は全員が白黒のはっきりした道徳的問題を好む。彼らはブッシュ大統領が恐ろしく不人気であることを知っている。また、ホワイトハウスが残り少ない忠実な同盟国のご機嫌を損なうことなんかしないことを知っている。
簡単な話だ。第二次大戦時代の性奴隷制に反対し、米国が一番近い同盟国にさえその人道主義を当てはめるのにやぶさかでないことを示し、ただで名誉が手に入るのだ。

HR121「慰安婦決議」が日本のためになりうること

一点は、私(DeOrio氏)がTPRでしばしば指摘したように、第二次大戦の諸問題に対応する何らかの立法をすることだ。つまり、決議案が有効になるためには、日本政府がこうした問題を解決するためにありとあらゆる手を売ったことをはっきりさせ、決着をつけることだ。
日本の戦争関連問題の主な反対派である中韓政府は、日本を批判するために問題を見つけ、ナショナリズムをあおり、国内問題から目をそらせるために戦争を利用するだろうが、これは日本が彼らに燃料を与え続ける理由にならない。国内向けと国外向けに発言を使い分けることができるというようなばかげた仮定のもとで、二枚舌を使ってもみんなが信じるだろうという態度によって、日本政府は自らの立場を悪化させ、必要以上に歴史的な重荷を増している。
HR121に対する日本の反応はその好例だ。もし決議案が外交委員会にあがったときに騒がなければ、たいした問題にならず興味も引かなかっただろう。驚いたことに、いかれた素人偽歴史家から転じた政治家による講義が失敗し、下院本会議にかけられることが決まったとき、日本が沈静化のためにしたことは火を熾して火事にすることであった。これで下院の誰もが無視できなくなってしまった。ラントス議員はその演説の中で、特に慰安婦事業における強制性を否定したワシントンポストの一面広告に触れ、日本が歴史問題の対処をいかに誤っているかの典型例であると指摘した。
どんな国でも、日本さえも、自国の歴史を好き勝手に書き直す権利はないし、自分たちだけが自国の歴史を知っているわけではない。日本の政治家だけが戦争中の事実を知っているというのはばかげている。とくに、その時代に子どもだったり生まれてさえいなかった人々が帝国軍の被害にあった人々に向かって、被害者は真実を知らないなどというに至っては。
いつの時点かで、日本は外交を学ばねばならない。下院決議を撤回させようとポスト紙に広告を出すようなヘマをした後では、ホーガン・ハートセンなどの日本が援助するロビイストや前議員などのコネを使ってももうどうにもならないだろう。
もしかしたら、この些細な失敗は日本政府の目を覚まし、現実に目覚めさせるかもしれない。