もうひとつの「拉致」問題

NYタイムズが、朝鮮戦争後の南北間の緊張の中で起きた悲劇について、詳しく報じていたんで、ご紹介。
After Torture and Betrayal, Reconciliation

GAEYADO, SOUTH KOREA — When the twice-a-day ferry pulls into this island of 900 people, village dogs trot out to the pier to watch the passengers come ashore. Seagulls wheel overhead as weathered fishermen mend nets on the beach. Women in sunbonnets spread anchovies out to dry.

But decades ago, the arrival of ferries was anticipated with dread. Often they brought the counterintelligence detectives, agents in successive South Korean military governments’ drives to root out Communists and their sympathizers.

The extent of the terror they spread in places like Gaeyado is only now coming to light with the revelations of the Truth and Reconciliation Commission. This panel was set up in 2005 to investigate dark episodes in modern Korean history, including abuses the South Korean government perpetrated against fishermen, mostly from the 1960s to the 1980s, in the name of fighting the Communist threat from the North.

韓国、ゲヤドー 住民900人のこの島に1日2回のフェリーがつくと、乗客が船を下りるのを迎えに犬たちがやってくる。漁師が網を手入れする頭上にはカモメが飛び、帽子をかぶった女性たちが鰯を干している。
しかし、数十年前にはフェリーは恐怖を意味していた。しばしば、韓国軍事政権の公安警察共産主義者たちを根絶やしにするために乗ってきたのだ。
彼らがもたらした恐怖の全容は、2005年に設置された真実と和解委員会によってようやく明らかになろうとしている。委員会は韓国の現代史の暗部を調査し、1960年〜80年代に北の脅威に対抗するという名目で行われた漁師たちへの虐待を明らかにしようとしている。

以下は、運悪く北朝鮮の領海に入ってしまったために北朝鮮に連れていかれ、せっかく解放されたのにスパイ容疑で7年も!懲役刑に服したパク氏の話続くんで、ワタスがまとめます。

朝鮮戦争後、3千とも4千ともいわれる漁師が北朝鮮に連れていかれ、北朝鮮に協力するように強制されたという。中には北に残った者もいるが、多くは帰国した。パク氏は当時新婚の21歳だった。協力を拒んだが5ヶ月後には解放された。しかし、帰国後は領海の外へ出た罪で8か月服役。1971年にやっと家に帰るも、ある日刑事がやってくる。「北から持ち帰った赤い表紙の本を友人に配ったのでは?ピョンヤンへ秘密の連絡をとるための通信機はどこへ隠した?北で食べたものや、女性たちに接待されたことをしゃべっていないか?」
身に覚えのないことで拷問を受け続け、ついに彼は友人のイム氏の名をあげてしまう。親戚に警官がいるから大丈夫だろうと。しかし、イム氏は逆さづりにされて拷問を受け、パク氏ともども、無実の罪を自白。イム氏は8か月、パク氏は7年の懲役刑に処せられた。その間、イム氏の父親は自殺、パク氏の妻は心臓病で亡くなった。彼らのような目にあった漁師は1250人はいると推定されている。
二人は、真実と和解委員会が主催したパーティーで再会し、和解したそうですがまだ政府からの公式謝罪はないということです。
国家の安全を守る、そのお題目の犠牲になった人たち。彼らの愛する人々は、帰ってこない。