性て、人格の一部だろうに

ずーっと違和感を感じてきたことに、たとえばGazing at the Celestial Blue 三鷹市『夏休み・親子で平和を考えるー「慰安婦」展』メモにあげられてるような、ことがあるんだな。なんでそんなに従軍慰安婦にされた女性たちに、しかも高齢の人に向って汚くののしらなければならんのだろうか、って。しかも、彼らは「売春婦」という言葉を投げつけることが、元慰安婦の女性たちの主張を無効化すると思ってる節がある。これも、ワタスには理解できなかったんだが、彼らはどーも女性の「性」というものは人格の一部でなくて単なるモノと思ってるからなんじゃないかと思い付いた。
もし「性」がただのモノなら、売春婦となってそれを商品として売ることを決めたんだから、商品がどーなろうと買った人間の自由であるからして、あとから文句言うとは何事か、ということなんだろうな。いっぽう、性は人格の一部であり、ないがしろにされることは人格の否定だと考える人にとっては、たとえ売春したとしても非人間的な取り扱いをされるいわれはない!と主張することはあたりまえ。全然かみ合わない。
じゃ、元慰安婦の女性たちに反対する人々は、男性の性をどーとらえてるんだろうね。反対派の人々の多くが、女性の権利に否定的で、レイプ加害者に親和的なことを考えると(某花岡氏とか)、男性の性もモノとして考えてるんじゃなかろうか。男性の場合は、なんか自分の人格とは別個の制御不能な暴れん坊みたいなモノ、みたいな。だから、性欲にとりつかれてるときは自分じゃどーにもならんので、悪くないと。むしろ、暴れん坊のリミッターを外したやつ(女性)こそ責任がある、となるわけだ。
どおりで、例の城内氏のポスター問題の時も、一方的に女性タレントが非難されたはずだね。女性性(かわいさとかきれいさとか)を売り物にしておきながら、それを黙って買おうとしたら「あんたに売ったおぼえなんぞ無い」とは何事か!てなもんだ。買いたくなっちゃったのは、別人格の暴れん坊のせいなんだからどーしようもないじゃん!むきー!てか。
ここで激しく疑問なんだが。性をモノとみなしていて、楽しいのかな?性生活をエンジョイできてる?もちろん、性生活って男女間のかかわりだけじゃなくて、脳内の妄想を含めた幅広いもんを指して言ってるんだけど。性も人生の一部、楽しまないと損だよ。わくわくしたり、ドキドキしたり、はらはらしたりするのは、それが「人格」の一部だからじゃん。
なんつうか、こんな反対運動よりも楽しいことを見つけてほしいですよ、ホント。