万人の万人に対する闘争、みたいな。

つらつら考えるに、ここんとこずーっといわゆる無垢なる素人の意見こそが尊重されるべきって流れだった気がするんだよね。裁判員制度とか、被害者参加制度とかその流れじゃん。無機質な専門家による血の通わない仕事より、無垢なる(無知なる)素人が判断を下すほうがだ優れてるのじゃ。
もうずいぶん前から、たとえば医師は病気ばかり見て患者のこころを見ないとか、勉強ばっかりの秀才集団の官僚は信用ならんとか、くり返しくり返し見聞きしてきたよね。大学の先生だって、なんか偉そうだけど何してるのかよく分かんないよとか。そーゆー長年の積み重ねがあったからこそ、パフォーマンスとしての「事業仕分け」の支持が高かったのかな?高学歴で頭よさげな人々が、こてんぱんにやられてて小気味よいと感じる人も多かったってこと。だから、いまさら立派な学者さんが声明発表しても、手遅れ感はあるな。

言っちゃなんだが、学者さんたちだって今まで「官僚は悪い。無駄遣いしやがって。もっとこっちにカネよこせ」って感じだったんじゃないのかね?学者さんには誰を代入しても通じるよ。

われわれのほとんどが、この複雑な社会で自分の周り以外を詳しく知ることなんてほとんど不可能。知らないんだから、正確に判断するなんて無理。だから「専門家」があるんだ。でも専門家ってやつも、いつまでも自分が素人から信用され続けると甘えちゃダメ。常に、自分がどれくらいやってるかをアピールしつづけないといかんのだ。

なんでこんなことをせねばならんのかって言う怒りはごもっともだけど、よくファッション雑誌なんかにある「モテ顔メークで」自己アピールみたいなのを、税金を必要とする人々はやらなければならなくなった、そーゆー時代だということなのかもね。