「異議申し立て」に異議申し立てる人々

これだけの数の人間が暮らしてれば、利害の対立は避けられない。いくらルールを決めたって、社会は常に変化してるし、今まで問題でなかったことも問題になってくる。あるルールが自分が生活するにあたって障害となっているからこれを変更してほしいと求めることは、「民主主義社会」では当然のこと。しかし、ある人から障害を取り除くルール変更が他の人にとっては困ったことになる可能性てのはありうる。だから、それを調整するのが「政治」なんだとワタスは理解してる。
で、2009-07-03 - Stiffmuscleの日記のコメ欄がすごいことになってるんだが、コメントしてるほとんどの人はこの下市町の住民ではないと思うんだ。なのにこの少女にガタガタ言わずにおとなしく養護学校へ行けと言いたい人が多いようなんだけど、学校をバリアフリー化するのになんでそんなに反対?物理的バリアは克服可能 - リハ医の独白で専門家さんが指摘してるけど、別にやってできないわけじゃないみたい。それに、この少女に限らず他の生徒だって病気やけがで車いすになりうるんだし、これをきっかけにバリアフリー化したらいいじゃん。
まあぶっちゃけ、ガタガタもめた当事者が3年間中学校に存在するのがうぜーってのが町の本音なんだろうな。住民ともめるのがうぜーくらいで、よく政治をやる気になったなあ。政治のキモはもめごとの調整じゃん。たぶん、もめてるうちに3年間が過ぎて「高校だからかんけーないね」になるのを待ってるんだろうけど。
いつも不思議なのは、異議申し立てをした人に対して、その人の異議申し立てでなーんも被害を受けるでもない人々が大量に非難に回ることなんだなあ。この少女が中学に通おうが通うまいが、別にどーでもよくね?周りの人に雑談の一部として語るならまだしも、わざわざネットにカキコまでするその熱意の源はなんなんでしょ。
まさかと思うけど、地震でわが子を失い、学校建物の耐震性能に異議を唱えた親がたいーほされる、そんなのが理想なのかな。Police break up protest by parents of China earthquake victims | World news | The Guardian
ていうか、他人の異議申し立てを封じたら、自分の異議申し立ても封じられるかもしれないのにね。それとも一生異議申し立てとは無縁なつもりなんだろうか?