勢いだけの教育改革は百害あって一利なし@NYTimes

NYTimesで、教師や教育への批判は正当か?みたいな特集組んでて論者が数名でてるんだ。そのなかで、ヘッドバンギングしたいくらいの正論を書いているNY大学教授Pedro Noguera氏の文をご紹介。Reforms Driven by Education Fads - NYTimes.com

せっかくなんで訳すぜ。

最近の教師への非難は、以下にあげる3つの異なる、しかし関連する傾向にさかのぼることができる。それらは米国の学生の学力低下についての懸念、政治家らが質の悪い教師を首にすれば学力がみるみる向上すると信じていること、公務員特に教師の年金・給与・手当などを減らして州の財政を健全化したいとの政治家の欲望である。さらにニュースや映画などで米国の教育問題は質の悪い教師がはびこっているせいだという考えが広まった。
最も問題で危険なことは、米国の教育専門職を支え、力づけるためにどうしたらよいかという分析を排除していることだ。間違った考えに基づいた改革の広がりを押しとどめなければ、教育に重大な禍根を残すであろう。
多くの学区における教師の雇用や期間についての規則を正直にみれば、改革が必要なことは明らかである。不適格な教師をやめさせるには時間がかかり、面倒である。それにもまして、生徒を支援する力に長けている教師に報い、貧困層の子どもたちを教える学校に優れた教師をとどまらせるための方法を見つけなければならない。今検討されている政策で、こうした問題に対処できるものはない。客観的な能力評価もなしに、より給与の高い年配教師をやめさせるよう誘導しては、様々な問題を引き起こしかねない。
効果的な教育には、1−2年の経験や生徒の試験の成績などでは測れない、たくさんの技術を要する。これこそが今の改革を主導し教師を非難する側の多くが理解していない点だ。NYのブルーンバーグ市長は、良い教師には経験など要らないと言いきった。
NJ州クリス・クリスティー知事等の政治家は、様々な研究からその効果が疑問視されている、生徒の成績で教師を評価することを提唱している。10年以上にわたり、テネシー州ではこのやり方で教師を評価してきた。にもかかわらず、このやり方を拒否しているマサチューセッツミネソタよりも、テネシー州の学力は劣っている。また、ゲイツ財団は10年以上小規模校の推進に2兆ドル以上つぎ込んだが、十分な結果がでないので生徒の成績で教師を評価することにした。
これらの例は、現在の教育論争の方向性の何が間違っているかを示すものだ。しばしば、改革は研究に裏打ちされない政治的流行で左右される。カネをつぎ込んだ実験や現在の財政危機を利用して教師を弱体化したい政治家の思惑なんぞで学校をめちゃくちゃにするわけにはいかない。
米国の学校を支え、向上させるためには良い教師を集め、定着させることがすべての努力の中心になければならない。ほとんどの場合、改革を進める側は教育に携わったこともなければ、優秀な教師が仕事をしているところをじっくり観察したこともない。彼らが教育について知識が不足していることこそが、われわれに必要な学校をつくるための障害になっている。

日本もおんなじだよねー。つい数年前の教育基本法改正とかさ。全国学力テストとかさ。先生についてのよい思い出でいえば、やっぱ面白い授業だったとか、勉強のことでほめてくれたとか、そーゆーとこだよね。それに、新米の先生とベテランにはそれぞれいいとこがあるんだから、それを生かせるような環境も必要では?先生が生き生きしている学校でないと、安心して子供をやれないよなー。