学問の積み重ねをなめんな!ちゅう問題

ワタスはこのブログで「反歴史修正主義」リングに加わってたりするんだけど、実は近代史を細かいとこまで把握したことないんだ。せいぜいが歴史学者の書いた本を何冊か読んだくらい(中公文庫の「日本の歴史」など)。ではなんでこんなことにコミットしてるかというと、歴史修正主義ていうのは結局学問の積み重ねを軽視してることに他ならなくて、それが大嫌いだから。かつ、学問の積み重ねに対する軽視は、結局自分の暮らしてる社会を悪い方、困った方へ導くと思うから。だから、id:D_Amonさんみたいに3行で反論かける人はすごいなーと思う。
学問だって政治とは切り離せない、とはよく見る意見。それはたしかにそうだけど、すべての学問がそれを研究している人間の政治的立場で左右されるのだとは、決めつけられないと思うよ。もしそうなら、いったい学者たちは「国際学会」なんかでどうやって議論してるのか?同じテーマだけど、異なる政治的背景をもついろんな国の学者がいて、彼らは共通の見解に達することはないんだろうか?やっぱたくさんの研究の積み重ねでできた「定説」ってあるんじゃね?そいで定説とかけ離れた意見というのは、政治的立場と関係なく批判されると思うんだ。もちろん、批判の「度合い」は政治的立場によって違うかもしらんけど。それと、政治的立場を優先した言動ばかりとって、肝心の学問のお作法をないがしろにしていたら、学者集団から相手されなくなると思うんだよね。それは学者として死ぬことに等しいのでは。だからこそ、歴史修正主義の側には「まともな」歴史学者がいないんだろうと思う。
同じことが「反進化論」に言えると思う。宗教と進化論について本を書いているKarl Giberson氏が自身の本 The Language of Science and Faithへの反進化論者からの批判へ答えているので、ご紹介。Is Accepting Evolution 'Optional' For Christians? | HuffPost

Our argument is described as a "rhetorical strategy" with the following statements as illustrations:

"almost all Christian biologists accept evolution."
"in most large gatherings of scientists you would not find even one person who rejects the theory of evolution
"The scientists at the BioLogos Foundation are unaware of any biologists who have abandoned evolution in the past few years. Not one."
"we are equally unfamiliar with any premier scientists who reject evolution."
"Christians should take no comfort in the misplaced hope that the scientific community is gradually abandoning the theory of evolution."
"the validity of scientific ideas is best addressed by the leading experts."
The author concludes that "Giberson and Collins don't want people to think for themselves on topics like evolution, but to simply capitulate to those whom they deem 'the leading experts.'" And "Dr. Giberson doesn't think that the average person should be allowed to "make up their own minds" on evolution."

This argument is a frontal assault on expertise and how to evaluate it. It is correct that a small percentage of credentialed scholars reject evolution. But this is true in every field. A small percentage of climatologists reject global warming; a few historians think the founding fathers were evangelicals or the holocaust never happened; a few economists still think supply side economics actually works. We do ourselves -- and our poor high school students -- no favors when we juxtapose the conventional wisdom of an entire community of scholars with that of a few fringe voices and invite people to choose which idea they like the best.

我々の議論の中の以下の箇所が、「レトリック戦略」としてやり玉に挙げられている。
「クリスチャンの生物学者のほとんどが進化論を認めている」
「規模の大きい科学者の集まりで、進化論を否定する学者は一人もいない」
「BioLogos Foundationの生物学者で、過去数年に進化論を手放した者は一人もいない」
「同様に、著名な科学者で進化論を拒否している者を知らない」
「クリスチャンは、科学者集団が徐々に進化論を見捨てつつあるなどという間違った期待を捨てるべきである」
「科学的な考えは第一線の専門家によって評価されるべきである」
批判の著者は、「この本の著者らは、進化論などの話題を一般の人が考えることを好まず、専門家の権威にひれ伏すべきだと考えている。普通の人が進化について『考えを決める』ことは許されないと思っている」と書いている。
こうした意見は、専門性やそれへの評価に対する真っ向からの攻撃だ。ごく少数の有名な科学者が進化論を認めないのは事実だ。これはどの分野についてもいえる。ごく少数の気象学者は地球温暖化に反対しているし、一部の歴史学者は米国の独立の父たちは福音派だったとか、ホロコーストはなかったとか考えているし、一部の経済学者はサプライサイド経済が有効だと考えている。学者全体で積み上げてきた知恵と、ごく一部の極論とを同等に扱い、人々に選ばせるというやりかたでは、ろくなことにならない。
いやほんと、定説と極論が同じ価値があるように装うことは、百害あって一利なしでしょ。真実に限りなく近い定説を、いつでも極論で否定できるなら、いったいどうやって社会の安定を維持できるというんだろう?それに教育の全否定だよね。だってどんな意見も等価なんだったら、勉強って意味ないじゃん。