別にけんか腰になる必要はないんでは。

http://d.hatena.ne.jp/terracao/20080618/1213724916経由で、http://eng.alc.co.jp/newsbiz/hinata/2008/06/post_483.htmlを読みやした。

しばしば思うんですが、なんで外国人にはいつも対抗セにゃならんのでしょうか。日本人もしっかりせねば、やられてしまうみたいな。ちなみに、ワタスの勤め先の社員食堂には常時外国人がおりますが、「醤油臭くて食えねえ!」と暴れた人はいません。ベジタリアンのメニューがないのでさみしくなった人たちはいます。それと、特定の肉を避けなきゃならん人がいるんで、ちゃんとchickenとか書くようにしました。あと、パーティーをやるときは野菜だけのメニューも出しますよ。お互い話し合って解決してけばいいんじゃないのですか?

ごみ出しも、近頃じゃ多言語で注意書きを出してるとこもあるし。むしろ日本人の方が、ルール守れずにトラぶってないですか?

一方、相手に合わせてばかりいる必要もないわけで、外国人に日本文化を説明するときも、「日本人は何でも本音と建前だから」という外国人特有の固定観念ないしは、何にでもラベルをつけないと気が済まないメンタリティーを知っておけば、「本音と建前を悪いことかのように言うなよ。相手に対する遠慮や思いやりの表れなんだ。「察しの文化」を知らねえのか。おまいさんたちより高度の知的活動を営んでいるんだ」と切り返せるようにもなろうというものです。してみると、自分なりに cultural identity を確かめたら、次に目指すべきは、陳腐な日本人論で固まっているご仁にやられないための、「攻めの cultural identity」なのかも知れません。

いやいや、これはいただけないっつうか、すべての外国人が、「日本人は何でも本音と建前だから」という固定観念をもってたり、何にでもラベルをつけないと気が済まないメンタリティーの持ち主ではないと思いますよ。そーゆー先入観で相手に向き合うと、むしろコミュニケーションがうまくいかない気がしますが。それに、外国人と会うたんびにcultural identity がどーたら考えるのって、なんか疲れちゃう。ていうか、今気づいたけど、そんなこと意識したことなかったYO。ほぼ毎日英語使ってるけどね。
むしろ、陳腐な外国人論で固まって自爆しないための柔軟性の方が必要かと。